飛鳥時代の建築様式を今に伝える法隆寺は、聖徳太子ゆかりの寺院です。
聖徳太子が父・用明天皇のために創建したとされるのは607年(推古15年)ですが、この法隆寺は670年(天智9年)に落雷がもとで起きた火災で焼失し、689年に再建されたとの説があります。どちらにしても7世紀に創建された最古の木造建築であることは間違いありません。
法隆寺は日本古来の木造建築として世界的に高く評価されており、1993年12月、ユネスコの世界文化遺産に日本で最初に登録されました。また17件の国宝、35件の重要文化財が指定されています。
法隆寺の中心である西院伽藍は、焼失後に再建されたもので、建築様式などから金堂が最も古く、ついで五重塔、仁王像のある中門、回廊が造られたと見られています。
夢殿を中心とする東院伽藍は、738年(天平10年)頃に、法隆寺の高僧である行信が、聖徳太子を偲んで、かつて斑鳩宮があった土地に建てたものです。
日本には、全国22の五重塔があり、京都醍醐寺、奈良興福寺、広島明王院など9か所が国宝指定、13か所が重要文化財に指定されています。五重塔とは、古代インドで仏舎利(釈迦の遺骨)を祀るために造られ始めた仏塔の仏塔の一形式で、楼閣形状の仏塔のうち、五重の屋根を持つものをいいます。
その中でも群を抜いて長い歴史を持つのが、法隆寺の五重塔です。これは、現存する木造建築の五重塔としては世界最古のものです。
天高くそそり立つ法隆寺五重塔の創建は西暦607年。
創建以来、日本には、マグニチュード7.0クラスの地震が46回も起こっているそうです。法隆寺五重塔がそうした地震を乗り越えることができたのはなぜでしょうか。
日本への仏教伝来は6世紀半ば。同時期に朝鮮半島から造仏工や造寺工が渡ってきて、法隆寺をはじめ、飛鳥寺や四天王寺などの本格的寺院が造営されました。朝鮮から伝わった建築技術はそれまでの日本にはない、壮大で異国的な美しさがありました。
中でも法隆寺は、五重塔が日本の建築のシンボルとして世界的に有名です。絶妙なバランスで設計され、世界一美しい建造物と称されるこの建物は、インドのストゥーパ(仏塔)をモチーフとしているものの、中国を経由して日本に伝わる中で、日本の伝統的な建築思想が加えられ、独特な層塔として完成したものです。
中門の中央に5本の柱がある珍しい構造をしており、その柱は中央部が少し膨らんだエンタシス式で、ギリシャのパルテノン神殿とよく似ています。
法隆寺は、高い建築技術をもった職人や設計士の存在を無視して語ることはできません。
法隆寺の西側には、代々、技術を受け継ぐ宮大工が代々住んでいました。彼らは屋根瓦の葺き替えや、点検と修繕を行い、特に13世紀、17世紀初頭、17世紀末には大規模な修理も行われています。
近代にも1934~1985年という戦前戦後をまたぐ「昭和の大修理」が行われました。この大修理は、戦争や、金堂の火災によって一部の壁画を焼損するなど難航しましたが、大半は当時の姿のままでの修復に成功しています。
具体的には、すべての木材をいったん解体して、傷んだものを差し替えて再度組み立て直すという大規模なものでした。修理にあたった宮大工たちは、ほとんどの木材は傷んでいるだろうと予想していたそうですが、古びた柱を解体し、カンナをかけてみると、ほとんどの木材は、生のヒノキの香りが漂うほど良好な状態だったといわれています。結局、差し替えなければならなかったのは雨風に直接さらされていた軒や柱の根元、基礎などの末端部分がほとんどだったそうです。
科学的な調査によると、法隆寺に使用されている木材の伐採時期は650~690年代のものが多いそうです。最も古いのは五重塔の心柱で、なんと594年に伐採されたものとのこと。建築物として1300年以上の歴史があることになります。現存する世界最古の木造建築物といわれるのは、このような理由があります。
木材の中でも、ヒノキは最高レベルの耐久性や保存性を誇り、伐採後200年間は強く、その後1000年かけて徐々に弱くなるそうです。このように、樹齢千年以上のヒノキが使われていることも、法隆寺の長寿命の理由でもあるのです。
また、そもそも、そのように部分的に差し替えることで、当初の技術や部材を生かしたまま建物を解体・修理できるのは、日本の木造建造物の柱や梁が、継手・仕口によって接合されており、当初から後年の解体修理を想定してつくられていたということを意味しています。
日本の建築物の寿命を縮めるのは地震ばかりではありません。その高温多湿な気候は、木造建造物は、腐朽や蟻害、雨風などによる劣化のリスクにさらされています。しかし、日々のメンテナンスを怠らなければ、予想よりも大きく長持ちさせることができ、やがて訪れる大規模修繕でも予算削減につながることを、法隆寺が証明しているのです。
独立した5つの層を下から積み重ねた構造の法隆寺五重塔は、各層は庇の長い大きな屋根を有しており、上にいくほど塔身の幅が狭くなっており、初重から五重までの屋根の逓減率(大きさの減少する率)が高く設計されていることが大きな特徴です。
屋根は上へいくほど小さくなり、五重目の屋根の一辺は、初重の屋根のおよそ半分になっています。同様に、塔身も下層から上層へ行くにつれて細くなっています。庇を壁からかなり離し、建物の全幅の50%以上にもなる長い軒を造りました。この巨大に張り出した部分を支えるために、片持ち梁を庇ごとに採用しています。
外からではわかりませんが、法隆寺五重塔は、じつは、5階建ての建物ではありません。階高の高い吹き抜けの木造1階建てに、5層の屋根がついている建物です。
礎石上部には舎利容器などが納められており、舎利容器の中には釈迦の遺骨が6粒納められているということから考えると、塔身の部分を除けば、法隆寺五重塔とは墓であり,心柱は骨壺の上に立てられた墓標と見たてることができるでしょう。心柱が風雨にさらされて朽ち果てることのないように覆いをかけたのが五重塔という形になったわけです。
五重塔の5つの楼閣は、下から、「地」「水」「火」「風」「空」を表しています。この5層は独立した世界であり、全体で仏教的な宇宙観を表しています。
中央を貫通する心柱が5層の頂部で接している構造や、5層の頂部には長い相輪が取り付けられ、心柱の先端に被せられている点など、いずれも他の建築物に見られないものですが、いずれも五重塔の耐震性の秘密になっています。
各階が強固につながっているわけではなく、ただ単純に重ねたところを取り付け具でゆるく留めているということにより、地震の際には、上下に重なり合った各階がお互いに逆方向にくねくねと横揺れし、振動の波に乗った液体のような動きになります。
さらに、建造物の中央の軸として吊り下げられた心柱も、地震の揺れを軽減しています。各階の床が心柱にぶつかることで、崩壊するほどの横揺れを防ぎ、揺れも吸収するのです。
不動の振り子のような構造になっており、より軽い各階の床があまりに自由に横揺れしすぎないように歯止めをかけています。心柱は地下1.5mの深さにある大礎石が支えています。
五重塔の建築技術が大陸から日本に伝えられたのは6世紀頃。大陸では、仏塔は石で作られていましたが、日本は地震ばかりでなく、雨も、中国にくらべれば2倍も多く降る風土です。雨水が建物から土台周辺の土壌に流れ落ちると、五重塔がいずれ沈んでしまいかねないという問題があり、石の仏塔は維持が難しいとされました。中国から韓国に、韓国から日本へと伝わった仏塔は、両国にもほとんど残っていません。
日本の大工たちの試行錯誤の結果、庇を幅広で重いものにし、日本の土地柄に合った建築法が編み出されたのです。
地震ばかりではありません。仏塔が崩落する最も多い原因は落雷による火災です。日本で最も高い木造建築物の東寺五重塔は、824年の創建以来、3度にわたって、落雷で燃え落ちています。
法隆寺五重塔は、耐火の工夫として、庇に瓦を積むことで、建築物本体に火が燃え広がらないようになっています。
五重塔はその古さ、美しさばかりでなく、建築自体の耐震性の高さで有名です。地震や強風といった自然災害による振動を計算して造営されている重塔なのです。地震国日本に適した建築方法が1300年以上も前にすでに確立され、なおかつ、今でもその耐震性の高さを誇り続けているわけです。
五重塔は、独立して組み立てた各重を重ねていく「積み上げ構造」という建築方法が用いられています。建物を支える木組みだけをあえて固定せずに組んでいくため、揺らすと、少し揺らぐように空間を作っているのです。知らない人が見ると、まるで手抜き工事のように見えるかもしれません。しかし、このような構造が地震の揺れを吸収し、簡単に倒壊しないような工夫であるといわれています。
実は、その耐震性の詳細な秘密は、今でも明らかにされていません。中央部の独立した柱が揺れを抑えている、各層がクネクネと揺れてバランスを取っているというところまではわかっており、模型による心柱の実験なども行われましたが、100%の解明には至らなかったのです。
2006年の実験では、心柱があるものとないものを用意し、阪神・淡路大震災の震度に相当するマグニチュード7.3の振動を与えたものでしたが、どちらも塔身を崩さずに耐えきりました。
建物の各所が柔軟に動く構造は、1968年に竣工した霞ヶ関ビル(日本初の超高層建築)に応用され、その後も世界中の超高層建築に取り入れられています。東京スカイツリーにも、質量付加機構という最新技術を用いた設計が五重塔に類似していることが話題となりました。
五重塔は、現代建築に今でもなお大きな影響を与え続けているのです。
法隆寺五重塔は、人間の知恵がみごとに結晶したものの一つと言えます。
専門家の研究によれば、法隆寺五重塔の構造には、現代でも十分通用する耐震設計の要素が多くみられるとのことです。専門的な用語でいうと、剪断変形、曲げ変形、並進運動、回転運動、ロッキング運動、連成振動、非線形振動、ホイッピング、がた、摩擦、塑性変形といった要素がそれですが、ロッキング運動による免震、大屋根による制振、心柱による落下防止などの構造は理にかなったものであり、こうしたことから、法隆寺五重塔は、まさに「耐震設計の教科書」のようだとまで言われているのです。
法隆寺五重塔の免震構造は、東京スカイツリーの建築にも応用されているとのことです。
大陸にも残されていない、仏塔という世界の文化遺産が、この地震国の日本で現存していることは、まさにひとつの奇跡といえるでしょう。
また、地震、火災、戦禍などが絶え間なかった長い歴史の中でも、あきらめることなく後世に知恵と希望を残そうとした大工たちの試行錯誤は、現代の住宅建築、SE工法などの考え方にも通じるものといえるでしょう。
飛鳥時代の文化や生活を現代に伝える法隆寺。
木材が豊富な日本では、木造建築の技術が脈々と受け継がれ、発展させてきました。木材は石材などにくらべると腐敗などによる致命的なダメージを受けてしまうことが多く、残念ながら、長期間残されている古い建築物は多いとは言えません。1300年もの間、その偉容を保ち続けている法隆寺は大変貴重であり、それを実現した日本の建築技術は、海外でも驚異の眼差しをもって迎えられているのです。