800年前の耐震構造建築 ~東大寺南大門

800年前の耐震構造建築 ~東大寺南大門

国宝・東大寺は、近鉄奈良線「近鉄奈良駅」から徒歩約15分にあり、1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されています。

東大寺といえば、なんといっても大仏殿が最大のハイライトですが、大仏殿へ続く参道の途中に、せんべいを待つ鹿たちがたむろする南大門付近で、たくさんの観光客が足を止めてその威容に見入っていることでしょう。
この南大門は、平安時代に台風で倒壊したといわれ、鎌倉時代に再建されたものです。
東大寺の中でも唯一鎌倉時代の威容を現代へと伝えるもので、歴史的にも非常に重要な門とされています。

東大寺の歴史~国家の財政を揺るがす大仏造立の大事業

東大寺の大仏の鋳造が始まったのは奈良時代の745年。このときすでに「東大寺」という寺号が用いられていました。大仏の造立というのは国家の大事業でした。難工事の末、大仏の鋳造が終了し、開眼会が挙行されたのは752年のことで。そのあとで大仏殿の建設工事が始まり、竣工したのは758年だったとのことです。
東大寺は、大仏を安置する金堂(大仏殿)を中心に、かつては講堂や東塔、西塔など、国分寺式の壮大な七堂伽藍を有していたといいます。この伽藍がひと通り完成するまでには、745年の起工から40年近い時間がかかっています。
これらの大規模な建設工事は国費を浪費させ、日本の財政事情を揺るがすことになりました。貴族や寺院が富み栄える一方、農民層の負担は激増し、平城京内では浮浪者や餓死者が後を絶たず、租庸調の税制も崩壊しはじめるなど、律令政治の矛盾が浮き彫りになっていきます。

天井を作らない、経済的・効率的な建造方法

現存する東大寺南大門は、平安時代末期に宋から伝わった大仏様(だいぶつよう)という建築様式で建てられた壮大な二重門です。大仏様という建築様式は、重源上人が留学先の中国・宋から持ち帰り伝えたと言われている建築方法です。東大寺南大門は、純粋な大仏様を見られる大変貴重な建造物です。
二重門とは、上層と下層の両方に屋根が付く二階建ての門のことです。普通は、上層よりも下層の屋根の方が大きいのですが、南大門の場合は、上下同じ大きさになっています。
さらに、門をくぐり、真下から上を見上げてみると、屋根が二重になっているにもかかわらず、なんと内部には天井が張られておらず、門の内部、化粧屋根裏が丸見えになっていることがわかります。巨柱が林立しているさまは、まるでビル工事現場での鉄骨の骨組のようです。化粧屋根裏というのは、構造材をそのまま見せて装飾としている様式です。
つまり、外側から見ると2階部分があるように見えますが、実際は南大門には2階部分はなく、ただ屋根がもうひとつ付いているだけで、筒抜けだということがわかるのです。実際には二重門ではなく、腰屋根付きの一重門ということになります。
大仏様というのは、平安時代までの日本の建築様式には見られなかったもので、数種類の規格部品だけで、巨大な木造建築を短い期間で建てられるという画期的な建築様式でした。経済性と効率性が追求されていたのです。
基壇を含めると、南大門の高さは25メートルもあります。日本最大の山門で、ビルよりも高い壮大なスケールには驚かされます。この大きさは奈良時代の創健の頃と同じとのことです。
その屋根を支えているのは、21メートルにも及ぶ巨大な円柱で、全部で18本。これらを「通し柱」として屋根部分まで通して直接支えています。

南大門の左右には、高さ約8.4メートルもの巨大な金剛力士立像が睨みを利かせています。東大寺南大門の金剛力士像は、左が阿形、右が吽形です。阿形は運慶と快慶、吽形は定覚と湛慶が、わずか69日間で一斉に彫り上げたものとのことです。もちろん国宝指定です。

800年前に到達した優れた耐震構造

鎌倉時代に南大門を再建した際に、もう二度と倒れないようにという強い思いをこめて、このような組み方をしたのでしょうか。
上層まで通された18本の柱は、上層まで達しており、何段もの貫と呼ばれる水平材でそれぞれ繋がれ、固められています。
軒を支える組物は、挿肘木を六段に組んだ六手先で、それらを水平材の通肘木が繋いでいます。柱間からは中備の遊離尾垂木(ゆうりおだるぎ)が伸び、軒の荷重を分散してし、垂木は端の数本のみを扇状に配した隅扇垂木(すみおうぎだるき)です。
できるだけ図太い柱を多用して、組み合わせることで、非常に高い耐久性が得られています。貫は軒下まで伸びており、風や地震の横揺れなどを防止しています。このダイナミックな構造によって、倒壊のリスクが低くなっていることがわかります。
再建以来800年が経過していますが、その間にも日本は大きな地震に何度も見舞われています。耐震補強などもちろんされていませんし、礎石の上に置かれているだけでアンカーボルトもありません。もちろん、筋かいなどもありません。それでいて、屋根はべらぼうに大きく、重い瓦屋根が載っているにもかかわらず、南大門が現存している秘密がここにあるのです。
シンプルでありながらも合理的で、高い耐震性を備えていることが、東大寺南大門の最大の特徴です。

耐震性にも優れた造りこのつくりは、巨大建造物の構造として非常に理にかなったもので、重源上人の卓越した知識・アイディアの結晶とも言えます。しかし、その豪快で大陸的な様相が敬遠されたのか、重源上人の死後は、大仏様が建造されることは二度とありませんでした。
しかし、耐震性の高い貫の構造や、木鼻の意匠などは和様に取り入れられ、新和様へ発展していきます。日本において、大仏様が建築にもたらした影響はきわめて大きいといえます。
柱と強く結びつけている 貫を多用した構造は、今でいうと、ビルの鉄骨のような組み方であると言えます。近代の建築様式の原点ともいえるもので、鎌倉時代の技術力の高さと精巧さには驚かざるを得ません。