大陸文化を取り込んだ優美な春日大社

大陸文化を取り込んだ優美な春日大社

奈良盆地の北部、平城京の東に位置する御蓋山は春日山とも呼ばれ、ふもとには、奈良時代に創建された春日大社の境内が広がっています。境内の入口には江戸時代に再建された一之鳥居が構えられ、1.2キロメートルに及ぶ長い表参道がそこから伸びています。社殿の背後には、古代より禁足地として保護されてきた春日山原始林が鬱蒼と茂り、一帯を静かに包み込んでいます。

春日大社は全国に約1000社ある春日神社の総本社です。ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されており、その歴史は、飛鳥から平城京へと都が移された奈良時代から始まります。境内は古代から神域とされていた御蓋山一帯に広がり、原始林に守られるかのように鮮やかな朱塗りの社殿が鎮座しています。奈良時代、平安時代を通じ、藤原氏の興隆と共に多大なる信仰を集め、繁栄しました
境内には、朱塗りのあでやかな社殿が立ち、古来より藤の名所としても有名です。
境内には春日大社国宝殿があり、国宝・重要文化財520点を含む約3000点を収蔵、公開しています。皇室の尊崇に加えて、庶民の信仰も厚かったため、数多くの灯籠が奉納されています。

その数だけでなく歴史的価値も高い石灯籠、釣灯籠

鳥居をくぐり、杉木立の中の参道を進むと、両側に、約2000基もの石灯籠が並びます。春日大社は灯籠が沢山あることで有名で、平安時代から現在まで奉納された灯籠が全部で3000基あります。歴史的な資料としても重要で、現存する室町時代以前の灯籠の6割以上が春日大社にあると言われております。年に2回、すべての灯籠に浄火をともす春日万灯籠が行われており、万灯籠の幽玄の美を体験することができます。

朱塗りの色彩が鮮やかな南門は楼閣状で、東に52メートル。西に81メートルの回廊がめぐります。回廊の長さは約200メートル、柱の数は251本。この回廊にもおよそ1000基の釣り灯籠が下がっています。これは約800年にもわたって様々な人から奉納されたもの。じっくり見ると形や意匠が異なっており、金色の灯籠なども見られます。元々は金色で、時が経つとともに色が変化していくとのことです。

代表的な春日造の優美な姿

本殿はその奥にあり、平時は人目にはさらされません。現存する本殿は、1863年に建て替えられたものですが、姿は12世紀のものそのままです。当時の洗練された優美な姿を今日に伝え、国宝に指定されています。

古代の日本人は大自然の営みの中に神妙な霊威を感じ取ってきました。春日大社は768年の創建以前からも古代信仰の場となっていました。春日大社は、平城京の鎮守として創建されたため、大陸から儒教文化などの思想を取り込んで融合させ、その後の神社の沿革に大きく影響を与えました。

春日大社の本殿は回廊内のさらに奥、中門と御廊によって囲まれた内側に四棟並んで鎮座しています。右から、武甕槌命を祀る第一殿、経津主命を祀る第二殿、天児屋根命を祀る第三殿、そして天美津玉照比売命を祀る第四殿となっており、高さはいずれも6メートル。日本全土に数広く分布する春日造を代表するものとして、四棟まとめて国宝に指定されています。

春日造は、妻入りですが、曲線と彩色が導入された様式です。大陸建築手法の影響が濃い春日大社は、春日造の代表的な建築とされ、本殿は一間社で、一間切妻妻入り形式ですが、正面に大きく庇を設けています。この庇は、向拝、階隠、御拝とも呼ばれます。さらに、屋根を反らしたものが春日造の特色です。正面からではまるで入母屋造に見えるのが特徴的だ。柱は、土の中に深く埋め込む構造とは異なり、四角に組まれたの木の土台の上に建ちます。
春日大社本殿の形は「春日造り」といい、神社建築のなかで最も優美な姿とされるが、美しさの秘密は、屋根のゆるやかな曲線にあります。青空に向かってそびえ立つ優美な曲線には、厳粛さと静謐さが漂い、見る者の心が清らかになるようです。
春日造の現存最古のものは円成寺境内にありますが、近畿圏に多く分布し、大きいものになると三間社となったり、2、3棟が連なったものなどもあります。

存在意義を20年ごとに確認する「式年造替」

本殿は式年造替の制度により、1863年までは約20年ごとに建て替えられていました。2015年に第60次の式年造替が行われたのは、まだ記憶に新しいところです。
かつての式年造替は、新しい木材で全く同じ建物を造るというものでした。修理や建て替えを儀式として取り込み、その存在意義を20年ごとに確認するとともに、常に若々しくあり続け、生命力に満ちた状態を保つ、神道の常若の精神を表すものです。古い社殿は、近隣の神社に払い下げられたため、日本各地の神社に移築された春日大社の旧本殿が現存しています。現在もなお完全な形で式年遷宮を実施しているのは、伊勢神宮だけです。19世紀以降は、痛んだ部分の修理や屋根の葺き替えを中心とした修理に変わりました。屋根には檜皮が用いられますが、若い檜では皮が薄く、弾力が足らないので、樹齢100年以上の檜から剥がさないと、屋根に適した檜皮は得られないそうです。
ふだんは直接目にすることはできませんが、神様が移殿に遷っておられる式年造替の期間中は、特別に参拝が叶います。

参道に木々に守られるように建っている宝物殿は1973年竣工のモダニズム建築ですが、これも式年造替に合わせて増改築され、春日大社国宝殿となりました。
もともとの宝物殿は、高さの異なる2つの切妻屋根の棟が雁行し、それを同じく切妻屋根の棟でつないだH字形の建物でしたが、2棟をつなぐ棟の屋根を延長し、新たな展示空間をつくられました。夕暮れ時、格子から漏れる光の奥に太鼓が浮かび上がるさまが幻想的な効果を生んでいます。
国宝352点、重要文化財971点など、日本随一の量と質を誇るコレクションが展示されています。

幣殿・舞殿の正面に位置する高さ12mの朱色がまぶしい春日大社の南門も見どころのひとつです。平城京の宮殿を思わせる下層が高く上層が低い作りから、王朝時代伝統の様式を垣間見ることができます。
また、式年造替の際に神様が遷る移殿と御廊をむすぶ渡り階段「捻廊」は、ほとんどの部材が平行四辺形に加工されているのが特徴的です。江戸時代に飛騨の名工・左甚五郎が現在のような捻れた形に造り替えたという説があります。

有形・無形の文化財としての春日大社

春日大社には、厳かな調べに合わせて優雅に舞う「春日舞楽」が伝承されています。これは奈良時代に中国やベトナムなどから伝わったとされています。発祥した中国やベトナムでは、時代の変遷とともにすでに滅び去っているそうです。日本では神事として取り込まれたため、形を変えずに今日まで伝えられてきました。
このように、春日大社は、本殿をはじめとした有形の文化財と、舞楽の無形文化財とともに、生きた文化財として私たちの目の前にあります。