台風被害で瀕死に陥り、再生した天女~室生寺五重塔

台風被害で瀕死に陥り、再生した天女~室生寺五重塔

女人高野の代名詞がある山岳道場

奈良市内から東へおよそ40キロ。
深山幽谷に囲まれた室生の地は、古来幽邃な聖地と仰がれていました。
奈良県宇陀市にある室生寺の創建は8世紀末。興福寺の僧・賢憬(賢璟)が朝廷の命を受け、弟子の修円に造営が引き継がれました。このため、長らく興福寺との関係が深かったのですが、江戸時代に独立して、真言宗寺院となりました。現在では真言宗室生寺派の大本山となっています。
比叡山や高野山よりも前に建てられた最初の山岳寺院として知られており、室生山山麓から中腹に自由に伽藍を配置しています。
格式高い真言密教の道場として信仰を集めた室生寺ですが、高野山が女人禁制だったのに対し、女性の参詣が許されていたので、江戸の頃より「女人高野」と呼ばれ、室生寺の代名詞にもなっています。
女人禁制の時代に門戸を開いた室生寺は、今でも女性の参拝客に人気の高いお寺です。
奥の院までは700段の階段と高い杉木立に囲まれており、静粛な山深いお寺です。
平安時代前期の建築や仏像を伝え、境内はシャクナゲの名所としても知られています。

奈良、平安、鎌倉と国宝・重文が居並ぶ伽藍

室生寺の国宝建造物は、五重塔・金堂・本堂と3つありますが、創建時にまで遡ることができるのは五重塔のみであり、現在のような伽藍が整うまでには相当の年数を要しているそうです。
室生川に架かる朱塗りの太鼓橋を渡り、近代の再建である仁王門をくぐって石段を上がると、金堂のこけらぶきの屋根と弥勒堂が見えます。こちらは平安時代、鎌倉時代の建築です。
金堂内部には、本尊釈迦如来立像と背後の帝釈天曼荼羅の板絵、左右に並ぶ薬師如来、地蔵菩薩、文殊菩薩、十一面観音菩薩、手前には十二神将像が並びます。すべて重要文化財以上で、釈迦如来像と十一面観音菩薩は国宝指定です。
さらに昇ると鎌倉時代に建てられたという本堂があります。

息をのむ「日本最小の五重塔」

本堂から奥ノ院へと続く石段の下から見上げると、樹齢600年の50メートルはある杉の木に囲まれ、自然と調和した朱塗りの五重塔が見えます。
この角度から見る室生寺五重塔は、息をのむような美しさで、天女が舞い降りたようだとまで評されるそうです。
有名な写真家の土門拳は、この室生寺五重塔の美しさに魅せられ、40年も通ったそうです。
この塔には、多くの人を惹きつけてやまない美しさがあるのです。
高さは16メートル。5階建てのビルほどで、現存している五重塔の中では最も小さい塔です(屋外に建つ五重塔としては最小。屋内に建つものにはもっと小さなものもあります)。
「弘法大師一夜造りの塔」という別名があります。
奈良時代最末期~平安時代最初期にあたる800年頃に建立された室生寺で最古の建造物で、法隆寺五重塔に次いで歴史がある塔です。もちろん国宝指定です。
この塔できわめて珍しいのは、塔の最上部についている相輪です。
日本の仏塔では、九輪という9つの輪の上に水煙という火焔状の装飾が付けられることが多いのですが、室生寺五重塔の場合は、露盤・覆鉢以外は銅板を曲げてつくられ、受花つきの宝瓶を据えて、さらに八角形の宝蓋が付いた独特なものになっています。
創建にかかわった僧侶修円が、この宝瓶に室生の竜神を封じ込めたという寺伝があるそうです。
2層目から上の層には高欄という手すり状の装飾が見えます。
屋根は、ヒノキの皮を何層にも重ねた桧皮葺きになっており、勾配はゆるく、初層から上層への逓減率はあまり高くありません(初層の屋根と五層目の屋根の大きさがあまり変わらない)。
ただし、塔身は上層になるほど細くなっているので、屋根の出が上層に行くほど深く、厚みがあることになります。
小規模な塔なのに柱が太いのも特徴的です。法隆寺と同じ、ギリシャ神殿にも使われている、膨らみのあるエンタシス柱です。

台風被害で瀕死に陥った室生寺五重塔

室生寺五重塔は明治32年に半解体修理が行われ、昭和27年、昭和53年には屋根の葺替え工事が行われていますが、平成10年、室生寺の奥深くで時を刻み続けてきたこの可憐な塔を、突然悲劇が襲いました。
台風でなぎ倒された巨木が小さな塔に倒れかかり、初層から五層までが損壊し、倒壊寸前の無残な姿になったのです。
宮大工たちも言葉を失うような惨状だったといいます。
瀕死の塔を救うために、重さ6トンもの塔をジャッキで持ち上げるという前代未聞の修復工事が実施されました。
桧皮葺の屋根の修理には、室生山のヒノキ500本の樹皮7.5トンが用いられたそうです。
修理に際し、奈良文化財研究所が当初材を年輪年代測定法で調査したところ、794年頃に伐採されたものであることが判明し、塔の建立年代を800年頃とする従来の定説が裏づけられました。
また現在の五重塔の屋根は桧皮葺ですが、創建当初は板葺であったこともわかりました。
五重塔の横をさらに400段近い石段を上ると、空海を祀る奥の院御影堂に達します。
五重塔の先の橋を渡った先の左側の岩尾根上には、修行用行場の登山道が今もあります。