橿原神宮前駅は、近畿日本鉄道(近鉄)の駅です。奈良県の南部、飛鳥地方の主要駅であり、「第1回近畿の駅百選」にも選ばれています。
南大阪線・吉野線・橿原線という3線が接続する駅で、鉄道ファンにとっては、橿原線系統(軌間1,435mm)と南大阪・吉野線系統(軌間1,067mm)が接続する駅として知られています。
橿原線のホームは南北、南大阪線・吉野線のホームは南西から東西に延びています。両ホームを結ぶ連絡通路に面する中央口、橿原線側の東口、南大阪線・吉野線側の西口という3つの出口があり、それぞれに駅舎が設けられています。
メインである中央口の橿原神宮前駅舎は、近鉄の駅の中でも、きわだって個性的なものです。駅名のとおり、橿原神宮参拝の玄関駅であり、立地に合わせて、神社かお寺かと思わせる外観です。
沿線には、奈良の古い民家に見られる大和棟(高塀造)という形式の屋根の家も見られるのですが、大きな急傾斜の屋根の下に錣屋根を配する、大和棟を模したコンクリート駅舎は、奈良の雰囲気に大変マッチしています。
扉の窓は円形ですが、全体には直線を強調する角張ったデザインが基調になっており、軒の列柱や巨大な梁の組み方などに力強さが感じられます。
この駅舎を設計したのは、戦前から戦後にかけて多数の建築作品を遺した村野藤吾氏です。中山製鋼所、湯浅伸銅、大丸(現・大丸松坂屋百貨店)、高島屋、大阪商船(現・商船三井)、川崎造船所(現・川崎重工業)、西武鉄道など、大阪や東京を拠点とする企業の多くの建築作品があります。初代新歌舞伎座や宇部市民館(現宇部市渡辺翁記念館)などの設計でも知られます。
急勾配の屋根と緩勾配の屋根との重なりや、遠近感を作り出す列柱は、村野氏らしい建築の様式美を感じさせます。ドイツ新古典主義建築の影響があるのでしょうか。
特徴的な屋根は、銅版葺きや瓦葺き、スレート葺きなど、時代によって素材を変化させています。
中央コンコースのホールに足を踏み入れると、高い天井の広々とした空間が広がります。
力強い梁、古さを感じさせない明かり採り窓、傾斜のついた壁上方にはめられた木製の建具、モダンな蛍光灯、壁画、奈良絵を思わせるレリーフや透かし彫りなどの様々な装飾も個性的で、村野氏らしさがあふれています。出札窓口の上の壁に大和三山が描かれています。
橿原神宮前駅には皇族用の貴賓室があります。ただし現役施設のため、非公開で、一般には公開されていませんが、貴賓室の入口扉も、一見の価値がある風格を感じさせます。
南大阪線・吉野線側の西口駅舎も、小さな大和棟の屋根のデザインとなっており、隣の畝傍御陵前駅も、橿原神宮前駅とほとんど同じデザインの駅舎として知られています。
橿原神宮前駅舎の竣工は1940年。村野藤吾建築事務所が設計し、大林組が施工しました。紀元2600年の式典に合わせて作られたものです。
平成28年(西暦2016年・皇紀2676年にあたる)には神武天皇二千六百年大祭が行われた
橿原神宮の御祭神は日本の初代天皇・神武天皇と皇后です。明治天皇が官幣大社として創建したのは1890年。富国強兵を標榜した明治政府の聖域と言えます。現在でも皇族の参拝があります。
創建から50年後の皇紀2600年に、ナショナリズムを高揚させるために計画された記念事業(東京オリンピック、万国博覧会などもそれらの一つでした)のひとつが、橿原神宮の拡張工事であり、それに合わせて橿原神宮周辺が整備され、橿原神宮前駅舎が建築されました。
その年、昭和天皇が橿原神宮に行幸し、秋には日本各地で紀元2600年奉祝式典が挙行され、参拝者は約1000万人に達したそうです。
駅そのものが新設であり、前年に畝傍線を移設して、新たに駅を新設して、それまでの「久米寺駅」を「橿原神宮駅」駅と改称しました(当時は「駅」が含まれる珍しい駅名でした)。「橿原神宮前」駅になったのは1970年のことでした。
屋根の重なりや列柱にドイツ新古典主義建築の影響を感じると書きましたが、荘厳さよりも威圧感が先に感じられるのも、そのような国威発揚が求められていた時代の建築であるからかもしれません。
日独枢軸という政治情勢から、ナチス・ドイツの建築様式の影響を受けているからか、村野氏もこの駅舎については、自作として語りたがらなかったそうです。
村野藤吾氏は戦前から戦後にかけて多数の建築作品を遺していますが、中でも、戦前から戦後にかけて約50年間に渡って特別なクライアントであり続けたのが、近鉄(近畿日本鉄道)でした。
本社ビルをはじめ、この橿原神宮駅などの駅舎、ほかにも百貨店、ホテル、劇場、映画館、住宅など、都市における来場者施設も多くあり、近鉄が望んだ「来場客のもてなし」という建築上の課題に向き合ったのが、村野氏の諸作であると言えます。
2017年3月には、村野とクライアントの関係に焦点を当てた「第14回村野藤吾建築設計図展 ~村野藤吾とクライアントー近鉄の仕事を通して」という展覧会も京都工芸繊維大学で開催されています。
駅は、出発する人を見送り、帰ってくる人を出迎える場所です。
橿原神宮前駅の乗降人員は1988年のピークである29,023人から18,862人まで下降していますが(2015年調査)、70年以上の年月の間に、この駅舎は多くの人をお出迎え、お見送りしてきました。
歴史に裏付けられた荘厳な空間の中を、今日も多くの人が行き来しています。