奈良は、日本の歴史そのものといえる多くの文化が生まれた場所。何百年も継承された文化が人々の現代の生活に根づく町です。
今回ご紹介するのは、大人の旅にふさわしい、奈良の癒しスポット今西家書院です。
ならまちは歴史的町並みが残る狭い街路に、江戸時代以降の格子町屋が数多く建ち並んでいます。町屋の原型を保ちつつ現代風に改装された飲食店や雑貨店、公共文化施設、社寺などの並びは、歴史と遊び心が満ちた風情を漂わせています。第二次世界大戦の大規模空襲を免れたこの区域は元興寺の旧境内で、奈良町都市景観形成地区に指定されており、細かく入り組んだ路地をめぐりながら歴史的風情を楽める奈良の観光スポットです。
そんなならまちの静寂のなかに荘厳な雰囲気とともにたたずむ今西家書院。
一見すると一般住宅と間違えそうになってしまいますが、室町時代の様式を伝える、書院造りの重要文化財です。
昭和12(1937)年8月25日、国宝保存法により、京都の二条陣屋、大阪の吉村邸と共に民間所有の建造物として初めて国宝の指定を受け、昭和25(1950)年に重要文化財となりました。
今西家書院は、興福寺大乗院家の坊官を代々務めた福智院家の住居を、今西家が大正13(1924)年に譲り受けたものです。一説によると、大乗院の御殿を賜り、移築したとも伝えられています。
入母屋造軒唐破風付きと、切妻造檜皮葺きの建物が日本建築の美を今に伝えており、当時の書院造りの角柱や障子、襖などの要素が、現代の和風建築様式に受け継がれているのを見ることができます。
江戸初期、嘉永7(1854)年、元治元年(1864)年、明治中期、昭和と度重なる修理を経ていますが、昭和に入ってからも、昭和13(1938)年、柱の根継ぎや床組などの部分修理、昭和53(1978)年には16か月をかけて解体修理工事を行いました。大切に守られた遺構です。
改築を経ても、庭に面する九畳と八畳の2室は、室町時代のものとされています。
ここはかつては上段の間として、身分の高い方の接客や謁見、会議などに使われ、板の間の一間だったようですが、江戸時代に床の間を造り、畳を敷いて、二間になりました。はめこまれた鴨居と敷居を外せば、元の板の間の姿に戻せるようになっています。
接客・謁見に使われていた「書院」の間が、建物の中で一番高い位置となるように上段・中段・下段の段差が設けられています。一番奥の部屋の下段は従者などが控える間として使われました。階段状の段差は、床だけでなく天井も同様に低くなっており、部屋がだんだんと狭くなっていく三段階構造が特徴です。
開けても閉めても一枚の大きな障子に見える子持ち障子(猫間障子)は、一本の敷居に2枚の障子がはまった、不思議な仕組みの障子です。
壁は和紙を重ねた貼り壁。夏は湿気を吸収し、冬は湿気を放出して、湿度を調整しています。陰影ある光景がまさにわびさびを感じさせてくれます。
ほかにも入母屋造軒唐破風や蔀戸、網代編み、煤竹の天井、檜皮葺き屋根など、日本独自の工法による、機能性と美的感覚を兼ね備えた美しい見どころがたくさんあります。舟底のような天井が特徴の式台付き玄関や、杉のへぎ板で網代編みされ、龍が描かれた茶室の天井なども見どころです。
今西家書院を管理しているのは、「赤鹿」ブランドの清酒春鹿醸造元「春鹿」を経営している株式会社 今西清兵衛商店です。
そのため、みごとに手入れされた庭の趣を楽しみながら、季節の和菓子や抹茶、酒粕アイスクリームなどの甘味をいただき、この地震国日本で、築600年を超える建物が美しく保たれている先人の技の堪能するのもいいでしょう。
春鹿「酒蔵まつり」共催コンサートや、笙と笛の演奏会など、展示会やイベントもいろいろ開催されています。